Ebook: ヨーガ・ヴァーシシュタ ー至高の真我ー (The Concise Yoga Vasistha)
- Year: 2021
- Publisher: ナチュラルスピリット
- Language: Japanese
- pdf
--------------------------------------------------------
(内容紹介)
真我実現へと導く最高峰の聖典!
20世紀の偉大な聖者、ラマナ・マハルシが最も愛し、重要視した聖典!!
「二十世紀の偉大な賢者ラマナ・マハルシは、一九三〇年代に、のちに彼の恩寵によって真我実現することになる弟子のアンナーマライ・スワミから、『真我実現のために読むべき本を教えてください』と求められた。
そのとき、マハルシが挙げた六冊の聖典(Kaivalya Navanitam, Ribhu Gita, Ashtavakra Gita, Ellam Ondre, Swarupa Saram, Yoga Vasishtha)の中でもマハルシが最も愛し、頻繁に教えを引用し、重要視した聖典が『ヨーガ・ヴァーシシュタ』である。」
(「訳者あとがき」より)
「この本はただの本ではない。この聖典はあなたに真我実現を与えることのできるグルであって、ただの本ではないのだ。だから最高位の敬意を払いなさい」
――H・W・L・プンジャジ(パパジ)
「この聖典を学び、その意味について黙想する人に、苦行や瞑想やマントラの必要はない。なぜなら、この聖典を学べば解脱は確実だからだ」
――賢者ヴァシュシュタ
「満足とは何か? 求めても得られないものへの願望を放棄し、求めずして得たものに満足すること、そのために得意がることや憂鬱になることもない―それが満足である。自己に満足しないかぎり、人は悲しみに支配されてしまう。満足が生まれると、清らかなハートが花開く。何も所有せずに満足する人は、世界を所有するのだ。」
「ラーマよ。無限の意識のエネルギーが存在し、それは常に活動している。ただそれだけが、未来に起こる避けることのできない出来事の正体なのだ。なぜなら、それは時間の中のすべての時代を貫いているからだ。宇宙の中のあらゆるものの本性は、それによって運命づけられている。」
「心という鬼に打ち勝つには、自分自身の努力で真我の知識に達し、心が求める快楽への渇望を棄て去るしかない。だが、正しい態度を培えば、子供が一つの事から別の事へと簡単に注意を転じることができるのと同じように、まったく努力せずにそれを達成することができる。渇望を棄てきれない者に災いあれ。ただ無欲だけが人にとって最善の道なのだ」
「私の教えは、この幻想の世界の実在性を固く信じ、その世界の快楽を追い求めるがゆえに知性を不能にされてしまった人のためにあるのではない。
見ることを拒む人に、色鮮やかな森を見せようと努力する愚か者がいるだろうか? ハンセン病で鼻を失った人に、さまざまな香りの違いを識別する方法を教えようとする人がいるだろうか? 酔っ払いに、深遠な形而上学を教える人がいるだろうか? 村の出来事について、火葬場に横たわる死体に尋ねる人がいるだろうか? もしそんな愚か者がいたとしても、彼を思いとどまらせる人がいるだろうか? 言葉を発することも知覚することもできない心を治められない無知な者を、誰が導けるというのか」
「『ヨーガ・ヴァーシシュタ』は、多くの物語や解説を織り交ぜながら究極の教えを説いている。それは哲学者だけでなく、現代の心理学者や科学者にさえ驚嘆すべき発見を与えることだろう。現存する聖典の多くは、神が帰依者に向けて説いたものだが、『ヨーガ・ヴァーシシュタ』は神に向けて説かれた教えだ。それは賢者ヴァシシュタが、神であるラーマに授けた教えなのである。
世界創造に関する真の理解をもたらす『ヨーガ・ヴァーシュシュタ』の哲学は、カシミール・シヴァ派の教義に極めて近く、その教えの核心は、『すべては意識である』に尽きる。それはあなたが見る『あるがまま』の物質世界をも含んでいる。これが絶対真理である。世界は意識の戯れに他ならないのだ」 (スワミ・ムクターナンダの「序文」より)
ヴァシシュタは探求者にこう強く勧める。
少なくとも毎日、この聖典のわずかな部分だけでも学ぶようにしなさい。
この聖典の素晴らしさは、探求者を失意落胆の内に置き去りにしないところにある。
たとえ初めて読んだときに明確に理解できなくとも、読み進めればかならず明確になる、と。
(以上、本文より)
(目次)より抜粋
第1章 離欲についての教え
第2章 探究者の心構え
第3章 創造についての教え
第4章 存在についての教え
第5章 崩壊についての教え
第6章 解脱についての教え
(内容紹介)
真我実現へと導く最高峰の聖典!
20世紀の偉大な聖者、ラマナ・マハルシが最も愛し、重要視した聖典!!
「二十世紀の偉大な賢者ラマナ・マハルシは、一九三〇年代に、のちに彼の恩寵によって真我実現することになる弟子のアンナーマライ・スワミから、『真我実現のために読むべき本を教えてください』と求められた。
そのとき、マハルシが挙げた六冊の聖典(Kaivalya Navanitam, Ribhu Gita, Ashtavakra Gita, Ellam Ondre, Swarupa Saram, Yoga Vasishtha)の中でもマハルシが最も愛し、頻繁に教えを引用し、重要視した聖典が『ヨーガ・ヴァーシシュタ』である。」
(「訳者あとがき」より)
「この本はただの本ではない。この聖典はあなたに真我実現を与えることのできるグルであって、ただの本ではないのだ。だから最高位の敬意を払いなさい」
――H・W・L・プンジャジ(パパジ)
「この聖典を学び、その意味について黙想する人に、苦行や瞑想やマントラの必要はない。なぜなら、この聖典を学べば解脱は確実だからだ」
――賢者ヴァシュシュタ
「満足とは何か? 求めても得られないものへの願望を放棄し、求めずして得たものに満足すること、そのために得意がることや憂鬱になることもない―それが満足である。自己に満足しないかぎり、人は悲しみに支配されてしまう。満足が生まれると、清らかなハートが花開く。何も所有せずに満足する人は、世界を所有するのだ。」
「ラーマよ。無限の意識のエネルギーが存在し、それは常に活動している。ただそれだけが、未来に起こる避けることのできない出来事の正体なのだ。なぜなら、それは時間の中のすべての時代を貫いているからだ。宇宙の中のあらゆるものの本性は、それによって運命づけられている。」
「心という鬼に打ち勝つには、自分自身の努力で真我の知識に達し、心が求める快楽への渇望を棄て去るしかない。だが、正しい態度を培えば、子供が一つの事から別の事へと簡単に注意を転じることができるのと同じように、まったく努力せずにそれを達成することができる。渇望を棄てきれない者に災いあれ。ただ無欲だけが人にとって最善の道なのだ」
「私の教えは、この幻想の世界の実在性を固く信じ、その世界の快楽を追い求めるがゆえに知性を不能にされてしまった人のためにあるのではない。
見ることを拒む人に、色鮮やかな森を見せようと努力する愚か者がいるだろうか? ハンセン病で鼻を失った人に、さまざまな香りの違いを識別する方法を教えようとする人がいるだろうか? 酔っ払いに、深遠な形而上学を教える人がいるだろうか? 村の出来事について、火葬場に横たわる死体に尋ねる人がいるだろうか? もしそんな愚か者がいたとしても、彼を思いとどまらせる人がいるだろうか? 言葉を発することも知覚することもできない心を治められない無知な者を、誰が導けるというのか」
「『ヨーガ・ヴァーシシュタ』は、多くの物語や解説を織り交ぜながら究極の教えを説いている。それは哲学者だけでなく、現代の心理学者や科学者にさえ驚嘆すべき発見を与えることだろう。現存する聖典の多くは、神が帰依者に向けて説いたものだが、『ヨーガ・ヴァーシシュタ』は神に向けて説かれた教えだ。それは賢者ヴァシシュタが、神であるラーマに授けた教えなのである。
世界創造に関する真の理解をもたらす『ヨーガ・ヴァーシュシュタ』の哲学は、カシミール・シヴァ派の教義に極めて近く、その教えの核心は、『すべては意識である』に尽きる。それはあなたが見る『あるがまま』の物質世界をも含んでいる。これが絶対真理である。世界は意識の戯れに他ならないのだ」 (スワミ・ムクターナンダの「序文」より)
ヴァシシュタは探求者にこう強く勧める。
少なくとも毎日、この聖典のわずかな部分だけでも学ぶようにしなさい。
この聖典の素晴らしさは、探求者を失意落胆の内に置き去りにしないところにある。
たとえ初めて読んだときに明確に理解できなくとも、読み進めればかならず明確になる、と。
(以上、本文より)
(目次)より抜粋
第1章 離欲についての教え
第2章 探究者の心構え
第3章 創造についての教え
第4章 存在についての教え
第5章 崩壊についての教え
第6章 解脱についての教え
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